皆さまは日本にどうやってゴルフが伝来し、発展していったかご存知でしょうか?ゴルフが好きでも、意外と知らない方が多いかもしれません。
イギリス人商人が手作りしたコースをきっかけに日本のゴルフ史が始まり、好景気の後押しを受けたゴルフブームで大衆娯楽としての地位を確立しました。本記事では、日本にゴルフが伝来し、普及するまでの経緯など日本におけるゴルフの歴史をまとめています。成り立ちを知ると、より一層ゴルフへの愛着が深まるかと思いますので、ぜひ楽しんでご覧ください。

日本におけるゴルフの歴史

ゴルフの伝来と草創期

日本のゴルフ史がスタートを切るのは1901年。イギリス人の貿易商人アーサー・ヘスケス・グルーム氏が兵庫県に所有する別荘に4ホールのコースを作ったのが始まりだと言われています。2年後には9ホールに拡張し、日本最古のゴルフ場として知られている「神戸ゴルフ倶楽部」が創設されました。当時、神戸ゴルフ倶楽部には135名の会員がいましたが外国人が中心となっており、日本人会員はわずか7名でした。庶民向けのレジャー施設としてではなく、外国人の貿易や娯楽が主な用途となっていました。
日本で2番目に誕生したゴルフ場は横屋ゴルフアソシエーションです。近隣に住んでいた福井藤太郎氏が自宅の一部をクラブハウスとして提供しており、キャディーとして修行を積んでいた息子の福井覚治氏は後に日本人初のプロゴルファーになりました。
このように少しずつ日本に根を張りつつあったゴルフ文化も1940年代には戦争の犠牲になってしまいます。太平洋戦争が始まるとゴルフ場を軍用地や畑として使うため、多くのクラブが解散を余儀なくされました。

第一次ゴルフブーム

戦争によって閉鎖されたゴルフ場の多くは終戦後に復活することはなく、せっかく根付いてきたゴルフ文化もこれまでかと思われていましたが、復興とともに少しずつ日本のゴルフ人気は息を吹き返しました。関東プロ、関西プロ、日本プロと選手権大会が始まり、本格的にプロ競技としての道を歩み始めたのです。神武景気と呼ばれた好景気の追い風も受け、各地にゴルフ場が建設されていきました。サラリーマンの収入も増え、余暇を楽しむ余裕も出てきたところでしたので、ゴルフの人気もじわじわと向上していきました。
1957年には日本で第5回カナダカップ(=ワールドカップ)が開催され、中村寅吉プロと小野光一プロのペアが団体優勝、中村寅吉プロは個人でも優勝を果たし、日本人選手が大活躍。その様子がテレビで放映され、日本中が熱狂の渦に巻き込まれました。これがきっかけとなり、第一次ゴルフブーム始まったのです。1960年代に入ると、「フジサンケイクラシック」や「よみうりオープン」など民間トーナメントも開催されるようになり、さらに人気が高まっていきました。1964年の東京五輪開催も決定し、さらなる好景気となった日本では、井上誠一氏、上田治氏、富澤誠造氏といった名匠によって各地に多くのゴルフコースが造成されていきました。

第二次ゴルフブーム

第一次ゴルフブームも落ち着いた1966年には、カナダカップ(=ワールドカップ)が再び日本にやってきました。ジャック・ニクラウスプロ、アーノルド・パーマープロなど世界のスター選手が集結し、第二次ゴルフブームの火付け役となりました。
高度経済成長期にはゴルフ場建設の方法にも変化が見られ、従来は職人たちによる手作りのコース造成が一般的でしたが、大手ゼネコンが参入し重機を入れての大掛かりな建設が増えてきました。好景気の後ろ盾を得てゴルフ場建設ラッシュが到来し、数百億円規模のプロジェクトが次々と立ち上がりました。AON(青木功プロ、ジャンボ尾崎プロ、中島常幸プロ)という日本のスター選手の存在もあり、高度経済成長期は日本のゴルフ熱が最も高まった時代となっています。1975年にはゴルフ場の数も1,000を突破。この頃には利用者のブランド志向も高まってきたため、他のゴルフ場との差別化のため海外の有名設計家を招いてデザインされたコースも多くなってきました。

バブル崩壊後、ゴルフ界は危機に直面

高度経済成長でゴルフの大衆化が進んだものの、バブル崩壊後には多くのゴルフ場が負の遺産となりました。企業は接待交際費、家計は娯楽費を削減、余暇産業のゴルフ場経営は窮地に立たされます。案の定、建設ラッシュで増えるだけ増えたゴルフ場の多くが不景気の波で経営に行き詰まり、倒産することになりました。
生き残りをかけた業界内での攻防も激しさを増し、4人一組のキャディー付きが基本だったラウンドスタイルはセルフや2サム保証も一般的になりました。過剰なサービスをスリム化し、低料金化も実現されたことにもゴルフ上の経営努力が伺えます。
しかし、ゴルフ人口は現象の一途をたどり、2017年には日本のゴルフ人口はピーク時のおよそ3分の2になっています。車を持たない若年層の取り込み、お金がかかるというイメージの払拭など多くの課題が残っています。

今後の日本ゴルフ界

2017年に550万人まで減少したゴルフ人口も、2018年には630万人に回復しており、明るい兆しも見えてきています。2019年にルールの簡素が主となる改定が行われるなど、ゴルフ人口の減少に歯止めをかけるために、世界でも日本でも多くの取り組みが行われています。来たる2020年の東京五輪では、霞ヶ関カンツリー倶楽部でゴルフ競技が開催されることが決まっています。かつてのブームの火付け役となったカナダカップのように国民がゴルフに熱狂し、第3次ゴルフブームが沸き起こることに期待したいですね。

霞ケ関カンツリー倶楽部の詳細はこちら

まとめ

日本で100年以上に渡り愛されるゴルフの歴史をご紹介してきましたが、いかがでしたでしょうか。
戦時中の衰退や戦後の復興、高度経済成長期のゴルフ場建設ラッシュなど、ゴルフは日本経済と発展をともにしていることがわかりますね。モノやサービスが溢れ、娯楽の選択肢は多様化する現代社会において、ゴルフの復権は私たち一人ひとりにかかっていると言っても過言ではありません。職場の同僚や後輩、奥様、ご友人など、まだゴルフの楽しさを知らない方にゴルフの楽しさを伝えてみてはいかがでしょうか?

もっとゴルフの歴史が知りたい方はコチラもオススメ

合わせて読みたい・ゴルフのコラム記事

Thumbnail 2d672931 4bac 4310 89c8 13051e678a0b

この記事をお届けした
ゴルフハック[GolfHack] の最新情報を
してチェックしよう!